ボソッ

id:amamako コメ欄で「でも作品を理解するためにはその源流を」とか言っている人がいるけど、元の源流知らなきゃ理解出来ない作品なんかクソだし、そーいう歴史に依存しなきゃ論じれない評論もクソだよ。

んなわきゃない。特に作品。
人間誰しも最初はニワカで素人であるように、人間誰しも何かしらのジャンルを愛していればいつかは古参で玄人になってしまう。彼らは当然ニワカ素人向けの作品は既に飽きるほど食っているし、そんな彼らのための作品を作れば可能性としてしばしばニワカ素人には魅力のポイントすら分からないものに仕上がる。*1
ニワカ素人向けの作品で玄人を捕らえることも、古参玄人向けの作品で素人を捕らえることも、共に難しい。であれば、どっちか向けに専念した作品には両方に存在価値があるし、両者を捕らえる作品を作れば元がどっち向けの物であれ偉業に違いない。古参玄人向けの作品にだけ素人をも捕らえる性能を求めるのはフェアさに欠いている。
日本のアンダーグラウンドHIPHOPの雄、Tha Blue Herbのラッパー・Ill-Bosstinoは最新アルバムの歌詞でこんなことを書いてる。

よくあるミクスチャー・バンドでもなけりゃ 一山いくらのどメジャーだけじゃ
全然ハマれない 俺らの音楽があるのはそんな奴らのためさ

21世紀に入って色んな分野で「みんな」という幻想が消え去った。音楽で言えばOasisみたいなバンドは出てきそうにもない状況になった。オリコンランキングだって「今日は何処の村でお祭りがあったか」程度の意味合いの代物になった。
いい加減「誰もに通じる」みたいな価値だけを持ち上げるのはやめたらいかがかと思うよ。

*1:典型例がパロディ作品とかオマージュ作品ってやつだ。こいつらが素人にとっても面白い作品であることは十分ありうるけど、だからって玄人を対象にしたこれらが素人をも捕らえなければならないってことはない。