つらつらと

「レイプポルノ、けしからん」みたいな話がされている場には、しばしば「じゃあミステリやサスペンスは殺人を描いて(r」とかいう話が出てくる。

「レイプポルノにはレイプシーンがある。レイプは犯罪であり、また他者の人権を著しく侵害する「悪」の行ないである。レイプポルノのレイプシーンはその「犯罪」「『悪』の行ない」を誘発する恐れがあるので、規制!」に対して、「ミステリーには殺人シーンがある。殺人は犯罪であり、また他者の人権を著しく侵害する「悪」の行ないである。ミステリーの殺人シーンはその「犯罪」「『悪』の行ない」を誘発する恐れがあるので、規制!」とはなっていない。おかしい! という感じなんだろうか。主張したことがないので良く分からんけど。

ただ、(俺の考える一般的な)レイプポルノにおけるレイプの在り方・描かれ方と、(俺の考える一般的な)ミステリやサスペンスにおける殺人の在り方・描かれ方が同じとは思えず、そこを踏まえないで同列に並べて「あっちがこっちが」と言ってるのに若干違和感を覚えていた。

そこで、俺の考える一般的なレイプポルノのように殺人を描く作品について考えてみた。(ちなみに読書家では全くない俺は、そうした作品の存在は知らないけど多分あるよね)
こんな感じかな……。

  • 主人公は勤める会社のある1グループから苛められているサラリーマン。
  • ある日、主人公がグループの一人に夜の公園で苛められていたところ、色々あって二人まとめて転んで苛めっ子が頭打って形勢が逆転する。
  • 好機とばかりに、主人公は苛めっ子に報復する。報復の具体的内容や、それによって鬱憤や恨みが発散される様がこれでもかと描かれる。相手は死ぬ。
  • (主人公はなんとか証拠を隠滅する。後述エンディングB以外の場合はなくてもいいかも)
  • 警察が調査に乗り出す。警察が調査している様はたびたび描かれるけど、何故かばれない。
  • 報復に味を占めた主人公は次々に苛めっ子グループのメンバーに報復。そのたびに行為内容、暴力の快感、鬱憤や恨みの発散がこれでもかと描写される。みんな死ぬ。
  • (後述エンディングBの場合、↑を繰り返す間、主人公が残してしまった証拠に気づく警察の描写が時々挟まる)
  • エンディングA:苛めグループは全員死に、主人公の殺人行為はバレも咎められもせず、主人公は苛めのない生活に戻ってハッピーエンド。
  • エンディングB:苛めグループは全員死に、主人公の殺人行為は警察によって明るみに出、逮捕される。やっぱ殺人は駄目よ的バッドエンド(笑)。
  • エンディングC:苛めグループは全員死に、主人公の殺人行為はバレも咎められもせず、主人公は「報復」抜きの殺人行為にも魅せられてしまうエンド。

……これは規制されそうだ>< と手前味噌。

なんか「苛め」とか余計なファクターが入ってるけど、これは、「レイプ」が性的欲求・快感・行為などまぁ日常と言える感覚や行為と地続きなのに対して、殺人そのものを欲求するという感覚や行為がかなり特殊で、レイプポルノと同様な該当行為の誘発効果がないだろうと考えて、地続きになりそうな要素を加えてみた。
「地続き」云々も重要っぽい気がしてきたけど、良く分からんので置いておく。
(あと、「最終的には和姦」的な要素はどうしても入れられなかった>< これは重要だよね多分><)

で、まぁ大抵のミステリやサスペンスはあまり上記のような表現にはなっていないわけだけど、所謂普通のミステリから上記の表現に変化するまでに、作中における殺人の意味はだいぶ変わっている、と思っている。「殺人行為という事象が登場している」レベルから、「殺人行為が表現されている」レベルに変化してんのかな? ちょっと上手く言葉にできんけど。

「『登場している』ならよくて『表現されている』だと駄目」かどうかはともかく、こんくらい違いがあるものを単純に同列に並べるってどうなの、というようなことが書きたかったんだろう多分><

とはいえ……

単に行為が「登場している」ことにも、一定の影響はある、とは思う。
例えば「帰ってきたウルトラマン」に「怪獣使いと少年」という話がある。この話に登場する少年は、諸々の理由から「宇宙人」と呼ばれて、町中から迫害され近所の学生に苛められている。最終的にはそうした苛めや迫害が遠因となって怪獣が現れて、助けを求める住民に「勝手な事を言うな」とウルトラマンが心中で毒づく素敵な展開が控えている。
というわけで、作品としては、差別・迫害・苛めといった行為は悪として描かれているんだけど、学生の少年への執拗な苛め描写を見ていると「うわーこれ見た子供真似しそう」とか思っちゃったりするわけだ。少年の首から下を土に埋めて、泥水を掬ってきて頭からかけたり。屋外で作ってる飯を蹴倒して踏みにじったり。

ので、「表現さえしてなければそんな影響が出るはずもない」かと言われると、それはそれで違うんじゃないかと思ふ。
お茶の間に流れる番組や一般に流通する作品に、殺人シーン(登場するだけなら痴漢やレイプシーンも)があるのは、そのレベルの影響までは表現との兼ね合いから考えて「やむなし」ということになってるんかな……。