七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる Disc 3

1枚目:七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる
2枚目:七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる Disc 2

911FANTASIA

911FANTASIA

「3枚目」

1枚目では全体の前提となる、現実でほとんど既に起きている出来事が描かれ、2枚目ではその後の(シミュレーションとしての)経過と、その中での音楽の力(と、それが失われた、あるいは結果的に無力であったこと)と、それでもなお、音楽とその向こうにある「何か」を捕まえようとする旅人おじいちゃんが描かれて、い……た、んじゃない、か――なぁ〜……というレベルの理解度でとうとう3枚目に突入と相成る。
ただ、3枚目は、そんなに難しくはなかった、と記憶している。
ここからどれだけ「分からない」が積み重なるのやら。

ネタバレ注意!!

アルバムまだ買ってない人はこっから先は見ない方がいいかもだぜ。
そして是非買ってみてね。

3枚目、1曲目“「ひとつめ」”

「ねぇ、何があったの? 何が悲しかったの?」
「まず一つは、世界最後のレコードが、回転するのを見た時」

上記の台詞しかない最短の語りパート。
2枚目最後の引きの通り、「3回だけ悲しかったこと」を軸に3枚目は始まり、終わる。

3枚目、2曲目“ラスト・レコード・オブ・ザ・ワールド”

争いを止めてみようか 戦争を
「そんなこと出来っこない」って風な顔しているね

同感だよ

七尾旅人ミュージックを聴きたかったけど、ここまでは堪能できなかったよ、という狭量なこだわりの人々、おまたせしました! な感じの七尾旅人印の名曲。オルガンがコードを垂れ流し続ける中、たゆたうように緩やかに歌う七尾旅人を堪能し、突如としてビート(それも、直前までとまったく異なるリズムの!)を伴ってのサビ「ぐるぐるぐるベイベー ぐるぐるぐるベイベー 最後の一枚が 回り続けているよ」で昇天するのが七尾旅人ファンの正しい姿だと俺の中の浅はかな何かが告げている。
嘘ウサ。
ちなみに、前曲で「回転するのを見た時」と言っていたり、「ぐるぐるぐる」のサビの直前に「テレビをご覧」と言っていたりする辺り、恐らく旅人おじいちゃんは最後のレコード回転に直接は立ち会ってはいないらしいっぽい。
それ自体はどうでもいいんだけど、後に「何もせぬまま」「黙っていた」と言う(言われる)通り、旅人おじいちゃんは音楽についてすら何ら大きなことをすることはなく、ただ音楽が無力になっていくのを見守っていたっぽい。
2枚目終盤で旅人おじいちゃんは無力感を感じているけど、このアルバムを作った現実の七尾旅人もまた、音楽への無力感、あるいは、そこに至るかも知れないという危機感を抱いているのかも知れない。

3枚目、3曲目“「ふたつめ」”

「へへ、なんだか面白いね」
「な? 歌えば楽し」

語りパートながら、二人で歌を歌うシーン。場面にふさわしく童謡のような感じで、これまたなかなか良い曲。
(現在は博物館にしかないらしい)レコードの話を終えたおじいちゃんと孫は小さな音楽を、レコードはないけど音楽は残ってるよ、という、なけなしの救いと共に二人で分かち合う。
その後、孫が「3回だけ悲しかった」ことの「ふたつめ」を問いただし、次の話題へ。
「ふたつめ」は「ワシの大事な女がな、愛想尽かして、出て行ってしまった」ことだ、と軽く切り出すが、
「遠くの飛行場から電話が来た」
と続き、同時に“いまのうち”のトラックが鳴り響くことで、“いまのうち”の本作品における役割が明かされる。更に、「あの日、世界の誰もが遠ざかって行く何かを見たが、ワシにとってそれは、あの娘だったか?」と続く段になって、「あの娘」が911ファンタジア世界中に実在する人物ではなく、擬人化された何かかも知れない、と思わされる。実際どうなんだろう。
あと、911の飛行機に乗ってしまった女性は現実世界に実在する人物だったのか、も、野次馬的に気にはなる。
……それにしても、孫が「ふたつめ」を問い質す時の、甘えた「話してよ」が微妙にエロい。この話は後述。
何かを思い出していたのを問い質されたところで次の曲に行くので、これ以降しばらく(“airplane”終了まで)は回想である可能性がある。

3枚目、4曲目“世界は私のお気に入り”

あらゆる場所 あらゆる人種 あらゆる音楽 あらゆる祈り
あらゆる暗がり あらゆる光 All My Favorite!!

911ファンタジア”は良くミュージカル的な作品と言われる(俺もそう書いた)けど、この曲は曲調自体が(俺の中にある一般的イメージとしての)ミュージカルっぽい。メロディアスな展開と合わせて、七尾旅人「の音楽」が聞きたかった、という人も大満足の名曲かと思ふ。
そして、そこで歌われるのは、世界の全てが大好きな「あの娘」の仮想台詞集だ(と思う)。上記の歌詞も含めて、その内容はハッキリ言って一般的な人間の思考ではなく、聖人か何かのそれであり、旅人おじいちゃんが極端に美化しているか、「あの娘」が人間ではない(つまり「擬人化された何か」である)かのどちらかとしか思えない。
前者だとあまり意味なさそうな気がするのが、後者っぽいと思っている理由の一つ。

3枚目、5曲目“人間じゃない”

この娘は人間じゃないのかも知れない
だって少し、優しすぎるから

前曲で浮かんだ疑問をそのまま歌われて困惑せざるを得ない楽曲。音楽的には繋ぎの小品。
この娘が人間じゃなかったら新しい仕事を探しに行き、人間だったらお嫁さんにしたいらしい。
七尾旅人本人にまで「どっちか分からない」と言われたら俺はどうしたらいいんだ……orz

3枚目、6曲目“少し浮かれて”

あの娘は変わった子供 まだ小さいのに 人生を上手に踊りこなす
ほらね 上手に……
少し浮かれて 夜に跳ねるよ
リクエストなんてないよ、そんなの
君の好きな音量で 君の好きな曲を
きっと 俺も それを 愛してるよ

俺にとって911ファンタジア”は、音楽的にはこの曲を聴くために存在したと言える、ガチ名曲。ピアノが鳴り響く、オフビートなアンビエントに乗って、七尾旅人が語ったり歌ったりする。
911ファンタジア”が如何に音楽度が低かろうと、七尾旅人は進化していたし、聴くに値する楽曲はゴロゴロ転がっているんである。
どうやらこの曲の中で既に旅人おじいちゃんは結婚しているらしい。そりゃ結婚しなきゃ孫は出来ないんだけど、相手はこの曲冒頭の「あの娘」なのか(「まだ小さい」「子供」はまずいだろ!)、そして「あの娘」は前曲の「この娘」なのか、更に前の曲の「あの娘」なのか、更に前の曲の「あの娘」……は、実在であれ架空であれ911で死んでいるはず……。
そもそも、この曲で歌われてる結婚生活自体が空想の可能性はあるし、そうでなくても別の誰かとの結婚かも知れない。

3枚目、7曲目“airplane”

私を乗せて 飛行機よ舞い上がれ
この身を攫って 飛行機よ舞い上がれ
あの娘が見た景色を 何度も見せてくれ

名曲ラッシュ! フォークを良く知らない俺は長渕剛を思い浮かべた、架空世界のフォークソング。あの七尾旅人がサビを熱く歌い上げる姿に感動しよう!(ライブとかで以前から普通にやってたらごめんなさい)
「世界を変えたあの飛行機に 俺だって乗ってるよ あの娘と共に」と歌う、「あの飛行機」に、歌詞カード上で軍用飛行機であるような注釈が付いていた記憶がある。
あの娘が911で死んだなら軍用飛行機に乗っていたはずはないので、この歌詞は「『あの飛行機』」ではなく、「あの『飛行機』」という意味……なんだろうか。
具体性があって分かりやすい歌詞のようでいて、その実ここまでの流れとの繋がりが分かりづらい曲ではある。

3枚目、8曲目“「みっつめ」”

おじいちゃんが2時間以上も黙っていた(!)後の語りパート。待っている孫も尋常ではない。
ここからは、話題が何度も切り替わりながら、重要な話の目白押しとなる。

「ねぇ、さっき言ってた、その――」
「夜が深まってきたな。ワシはともかくお前は、もうそろそろ寝ないといかん」

最初の応酬。2時間黙ってたのに、「みっつめ」に話題が及ぼうとした瞬間これである。旅人おじいちゃんにとって、「みっつめ」はよほど語りたくない内容らしい、と思えなくもない。

「ねぇ。その女の人は? 死んだの? ねぇ」
「……分からん。今もって分からんのじゃ。
 ワシらは、幻の腑分けをしなければならない」

その次の会話からは、これまでの「あの娘」が、これまでに「失われた」と表現されてきた、旅人おじいちゃん――七尾旅人が重要視する何かである可能性が示唆される。

「知ってるかい? かつてこの星の中に一つだけ、戦争をしない国があったんじゃ」
「え……? 戦争をしない国……なにそれ、そんなものがあったの?」
「そうじゃ。他でもないこのワシらの国、日本じゃ」

七尾旅人が失われたと表現してきたものの、少なくとも一つは「九条を始めとする日本国憲法に謳われた理想の平和を実現するという、大いなる幻想」であるらしいことが示唆されている、はず。そして、恐らくは「戦力を持ち、武力均衡による平和というシステムに加担する」ことを「甘やかな幻影」と呼んでいる。
ただこれは、九条があれば日本は平和で世界も平和、というお花畑思考の話ではなくて、「御伽噺を本当にする、それは、真に、骨の折れることじゃ」とアルバム屈指のパンチラインで語る通り、御伽噺としか思えない、しかし理想であることには間違いない(と少なくとも七尾旅人は信じる)平和の形を希求し続けるという意志の話なんだろう。
正直日本に(少なくとも自衛隊という形での)武装は必要なんじゃないかと“911ファンタジア”を聴いた後でも思っている俺にとっても、頷かざるを得ない話。
何も起きなかった、荒野がなかったと語った時代に、実は日本に残されていた荒野を、これから日本は諦めてしまうかも知れない、という危機感が、“911ファンタジア”の根幹の一つなんだろう……か。
そして、“911ファンタジア”の世界では、既に日本は「甘やかな幻影」を選び、その結果、

「いつしかワシらの前に、まるで月にも似た光景が広がった。
 とうとうワシらの前に、荒野が現れた」

まったく異なる荒野に足を踏み入れる。
「月面着陸の熱狂とは異なる冷たい荒野」が、しかし「月にも似た光景」と的確にビジュアライズされ、更にそれが戦場の荒廃さえも連想させる皮肉、そして鳴り響くオープニングトラック“荒野”の重く冷たい響き。
1969年の熱狂と全く異なる世界に至ってしまったことが、全く同じ音と言葉で語られる、アルバム屈指の衝撃の瞬間がここにある。
そして、事ここに至ってもなお「何か」を探していたという旅人の言葉を受け、次の曲へ。

3枚目、9曲目“FINaL CHaNT”

STARLESS 暗がりで 良く見えるよ 綺麗だね
STARLESS 暗がりで 良く見えるよ 綺麗だね

前曲ラストで語られた、星も見えない暗く冷たい荒野で、「何か」が良く見える、と歌う、もはや何の希望にもならない希望の歌。
意図的に崩しているためか歌がかなりルーズで輪郭のあいまいなものになっているけど、低く流れる電子コーラスを中心としたトラックと空虚なエコー処理がただならぬ緊張感を感じさせる曲。

3枚目、10曲目“The End Of September 11, 2051”


「いかん、警報じゃ」

ここまで、悲惨な過去(架空の未来像)の話をしていながら、なんとなく前提になっていた「おじいちゃんと孫は平穏にお話をしている」という認識を一瞬で完全崩壊させる「終わりの始まり」の警報で幕を開ける、2051年9月11日の本当の現状。
それは、もちろん今までお話をしていた場所は戦争の真っ只中であり、有事にはすぐに避難しなければならない状況であるというのもそうなんだけど、それだけではない。
ここから先は“911ファンタジア”における七尾旅人の物語であり、つい先ほど世界は既に終わっていたことが明らかになったのと同様に、今度は「旅人おじいちゃん」も既に終わっていたことが明らかになっていく。

孫「そして、戦場で、初めて敵兵を殺した時、
  貴方は、何も言えなかった。
  彼は、貴方に、そっくりだったのだから」

これまで、戦争へと傾斜していく世界について被害者顔で落胆していた七尾旅人が、現実には参加者でもあったこと。戦争の話をする時、自分が参加する可能性を感覚的に想定していない種類の人(例えば俺)は、同じ感覚のこの作品の語り口に寄り掛かってしまっていて、結果ここでその支えがいきなり外されたことに少なからぬ衝撃を覚えると思う。
孫が話した内容が、恐らく「みっつめ」の「悲しかったこと」であろうこと。“「みっつめ」”で孫の質問を遮った反応を併せると、これまでの冷静な語り部のようであった言葉が、実は都合の悪いことを孫には隠しておきたいという人間の生々しさを隠し持ったものであったことも、ちょっとした衝撃となる。
孫が、孫ではないこと。旅人と孫の会話を知るのは旅人と孫だけであり、その上で旅人しか知らない「みっつめ」を知っているのは孫ではありえない。
孫?はその後「初めて殺した敵兵」に化けてみせるが、恐らくその正体は「旅人が見ている幻」であるはずだ。
自分の話を聞いてくれて、望む通りに反応してくれて、時には突っ込んでくれる、都合の良い孫像には、“「ふたつめ」”における音楽を通じたどこかエロティックな交流シーンを併せて考えると、「あの娘」のイメージもまた混じっている可能性がある。
この後、旅人は「初めて殺した敵兵」に懺悔し、孫?から本当の孫は既に死んでいるという現実を思い出させられ、銃声と爆撃音の中で自失する。
この「懺悔」の中で興味深かったのは

「際限なき沈滞の中で、新たな荒野を欲した時、
 奥底で、ワシらは、戦乱を、求めたかも知れん」

のくだり。
最近、何かのエントリーで「日本の状況が改善するには戦争になるしかない」ということがかなり現実味を持って語られているのを見て、「荒野」と「戦争」とが自分の認識より遥かに地続きであるかも知れないということを知った。七尾旅人がどこまで想定したかは分からないけど、俺にとっては、そういう意味で少し大きな意味を持つ。
その後、孫?(の中の、恐らく本当に孫の部分)は

「おじいちゃん、ごめんね。
 兵隊さんになりたいけど、もう、体が、ないから。

と、絶望的な希望すら失われたことを語り、消える。
旅人は全てを失い、終わりを迎え始める。
旅人主観で語られる終わりは、世界中であらゆる個人が同じように終わっていくことを示唆する。

3枚目、11曲目“彼方から”

今 今 今 誰かが生まれた 見つけた
今 今 生まれた

旅人が迎えた最後の救いは、音楽と共に希望が戻ってくるという幻だった。
「あの娘」による、希望の歌。
音楽が戻り、生命が戻り、孫が戻る幻の中で、旅人おじいちゃんは終わる。

3枚目、12曲目“此方から”

なんだかおかしいわ この歌が聞こえないの?

穏やかにフェードアウトしていった前曲の余韻を断ち切るようなピアノで幕を開ける、「あの娘」による最終曲。
旅人が「失った」と言い続け、「見つけよう」「捕まえよう」とし続けていた「何か=あの娘」が、自分はずっと傍にいた、と歌う。
それは“911ファンタジア”というシミュレーションが迎えたバッドエンドのテーマ曲であり、回避策の示唆でもあるはず。
また、世界が迎えた結末に対する、どこか他人事のような語り口は、“「みっつめ」”で旅人が日本国憲法第九条について語ったのと同様、「何か」はそれ自体が積極的に世界を救ってくれる、という性質のものではないことも示唆しているように思える。
ここまで、分からなかったことはたくさんあるけど、“911ファンタジア”は、「“911ファンタジア”によって提示された可能性を含むあらゆる最悪の未来を回避する」という、七尾旅人プレゼンツの大いなるファンタジーなんじゃないか、と、ここまで通して聞いた今は思える。
正解かどうかは知らない。

911ファンタジア”、聴了

長かった……。
そして、分からなかった部分は相変わらず分からなかった……。
ただ、“911ファンタジア”そのものについて、自分なりの結論は出たので、一定の成果はあった、と思うことにする。

911ファンタジア”「レビュー」締めの言葉

俺自身は、ここまでの3エントリでは“911ファンタジア”の内容咀嚼を試みていたつもりだったんだけど、楽曲への感想を含む文面は知人の目に「レビュー」として映ったらしい。であれば、レビューとしても締めないといけない、かも。
ここは後で書き直そ。
とりあえず、現実に「好みに合わなかった」「期待していたものではなかった」みたいに言う人がそこそこいる以上、七尾旅人ファンであろうとなかろうと、誰にでも良いと思えるアルバムだとは言えないけど、
それでも、一度は聴いてみることをお薦めします。
いじょ。

それはそれとして

まっとうな咀嚼力の持ち主による“911ファンタジア”超詳細レビューとか分析とか諸々をお待ちしてます><

ノシ~