七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる Disc 2

1枚目:七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる
3枚目:七尾旅人“911ファンタジア”を頑張ってみる Disc 3

911FANTASIA

911FANTASIA

「2枚目が始まる前に少し言わせてもらう」

次は、現在最も理解不能要素が多いイメージのある、2枚目……。
既に、分かりやすいと思っていた1枚目の時点で大量の「分からない」「と思う」を量産しまくった手前、早くも2枚目が心配でならないわけだけど、文字にしてみたら案外分かりやすくなったりするかも知れない、という幻想を抱いて頑張ってみようと思う。
1枚目との間に少し歌詞カード探してみたけど見つからなかった\(^o^)/

誰かが“911ファンタジア”をこんな風に

そしてもっとずっとまともに、語ってくれることを願ってやみません。
その文章が、すごく読みたいです……。

2枚目、1曲目“「ソウルミュージシャンたち」”

「やがて、こう思うようになったんじゃ。『音楽はまだまだ、戦える』と」
「音楽で戦うって、どうすんの?」
「ふぅむ、それが問題なんじゃ」

語りパート、ではあるんだけど、国府達矢“天河越え”のギターリフをサンプリングしたトラックの上で、何人かの「ソウルミュージシャン」を音楽の口真似しながら取り上げる展開は、単一楽曲としても聴ける上にかなり楽しい。が、似ているのかどうかはどれも知らないので分からなかったorz
時代が荒野を失い、音楽も矮小化していったこと、そんな中、「日本人でただ一人(おそらく国府達矢のこと)」が音楽の力を保ち、進化させ続ける姿を目の当たりにしたこと、それから音楽を信じ、聴き返すようになったことの話を経て、音楽そのものの話になっていく。
この時、音楽が語るメッセージの話題はあまり出てこないことから、七尾旅人が信じている「音楽の力」というのは、七尾旅人自身が“911ファンタジア”でやっているように、具体的に問題に言及し、他人の意見を変えていくことではないのかなぁ、と思い、それこそ「音楽で戦うって、どうすんの?」状態に。
この件に関して、国府達矢の“ロック転生”収録曲、“うた”を聴いた時、世界を覆う愛のことを無邪気に歌う姿に、なんとなく何か分かったような気になったのは、また別の話。

ロック転生

ロック転生

マーレイ(多分ボブ・マーリー)の「俺は、死の使者なんかじゃない。俺は、生の申し子なんだ」という言葉を取り上げて、次の曲へ。

2枚目、2曲目“生の申し子”

I am not the Angel of Death, Lady...I am A Child of Life

上記の(ボブ・マーリーの?)言葉がサンプリングされ、七尾旅人がたった一言「あなたは」としゃべる他は、完全なインスト曲。
何パターンかのアコースティック・ベースの生々しいフレーズがループし、ドラムがバカスカと鳴り続ける中、少しずつ音が増してきて不穏になっていく展開は、瞬間瞬間では面白いし、全体を通すと少し飽きが来るのが正直なところ。七尾旅人がどこまで創作したのかは不明。サンプリングとかしてるんかなぁ。
「生の申し子(A Child of Life)」という言葉をフィーチャーするのが目的の曲かと思う。

2枚目、3曲目“「昔々、レコードというものがあった」”

「ああ、そうじゃ……生の申し子なのじゃ。生の、申し子なのじゃ!」
「(楽しげに笑って)ねぇ、生の申し子って、何!?」
「ワシら一人一人のことだ。小さな太陽、小太陽、命! ワシらは、生の申し子なのじゃ!」
「(楽しげに笑う)」
「小さな太陽、小太陽。小さな太陽、小太陽……」

前曲を受けた上記の受け応えが若干宗教勧誘ビデオ的な空気を感じさせる語りパート。
その後は、レコードを通して、「音楽家と出会い、深いところで交流する」かのような経験が出来る、(おそらく「優れた音楽(家)の」という但し書き付で)レコードにはそういう力がある、という話をした上で、(七尾旅人演じる)おじいちゃん自身が「若気の至りかね、その頃ワシも少しだけ、音楽をやったよ」と続き、鼻歌でその一端を披露、次の曲はその鼻歌の正体、となる。
なんというメタ展開……| ^o^ |

2枚目、4曲目“世紀の爆笑”

エブリワン エブリワン
今、私たちの時 押し込めてきたSmilin' 解き放つ時!

前曲最後の鼻歌が暢気な調子の割に、その正体であるこの曲の同フレーズ、及び楽曲が黒格好いいのがちょっと面白い。七尾旅人が黒い音楽をやってるところなんて初めて聴いたので、かなり新鮮だった。ちょっと1stっぽい曲なのかな? 実際昔の曲かも知れず。ガナリ唱法がなかなかハマっているブルージーなダンスミュージック。
歌詞は、上記の歌詞からもなんとなく雰囲気を感じられるように、プロテストソングっぽい内容。単語が違う? 七尾旅人本人らしからぬメッセージ色の強さ。

2枚目、5曲目“千年の願い”

“detonation”とは、内燃機関のノッキング。
何かが爆発的に燃焼するとき、内部伝播速度が音速を超える現象。
燃え上がる速さが、音楽の速さを、超える。
さぁ、マッチを(シュッ) さぁ、マッチを(シュッ) さぁ、マッチを(シュッ)

前曲からシームレスに突入するこの曲は、一転してピアノが不気味に鳴り響くサイケデリックソングに。展開は幾重にも切り替わり、楽曲としてはかなり面白く、聴ける曲。
ただ、正直、歌詞の内容が一番分からないのがこの曲だったりする。最後は「捕まえた! 捕まえた!」と締められるけど、何を捕まえたのかも不明
そもそも、この曲がおじいちゃんの昔作った音楽なのか否かも不明。そうだとすると、この歌詞の微妙なわけ分からなさはいつもの七尾旅人だし、漠然と「音楽」と「情熱」と「何かを得ること」がテーマだと思えば、「おじいちゃんが若さ全開だった頃の象徴としての楽曲」として分からないではないんだけど、その解釈自体に自信なし。

2枚目、6曲目“「甘美なる」”

「このワシも例外ではなかった。
 命の歌に焦がれながら、ほんの少し油断をすれば、ムクムクと武器が欲しくなった。
 我が身を、そして愛するものを守るために」

前2曲で昔を思い出して興奮しすぎたおじいちゃんを孫が宥めるところから始まる語りパート。
「ワシらは皆音楽なのじゃ、生の申し子なのじゃ」「ワシらはほとんどそのことを忘れてしまった」→「戦火は広がっていった」の間に論理的な繋がりはほとんど存在しないし、「戦火は広がっていった」→「享楽的な音楽が町中に溢れた」の間にも論理的な繋がりはほとんど存在しない。
ただ、音楽の力を信じる七尾旅人にとって、あるいは911ファンタジアにとって、音楽の力を忘れることと世界がロクでもない幻に惑わされること、そしてその世界で力のない音楽が溢れることの間には重要な連続性がある、という、七尾旅人及び911ファンタジアの世界観が提示されている(っぽい)という点では重要な語りパート。
もう俺解釈てんこもりで盛大に間違えてる可能性が150%。一度間違えた場所をもう一度間違えてる可能性が50%の意味。

2枚目、7曲目“ロンリー・クイアのKISS抑止”

核で抑止する 貴方のKISSを抑止する
貴方が10発撃つならば 私は20発撃つ
貴方が10億殺すならば 私は20億殺す
例え全てが消え失せても、私のKISSは止まらない
愛してる(×∞)

恐らく、前曲で語られた「享楽的な音楽」の代表例が、これ、なんだろう。
何か最近同人音楽とかアニソンとかで良く聴く感じの、四つ打ちトランスっぽいアレに乗せて、ナルシスト感丸出しのケバい語りが、全語尾に(はぁと)が付きそうな勢いで上記の戦争狂な歌詞を吐き出し、最後はオーガズムに達する、享楽的以外の何物でもない曲。
正直、このアルバムの中にあって、この曲は面白すぎる。初聴で普通に笑ったし。
この曲を七尾旅人が作っていたら面白かったんだけど、おぼろげな記憶によると歌詞カードには「音・声」として別のミュージシャンの名前が書かれていたので、歌詞の内容以外は全部外注っぽいのが少し残念。
とはいえ、「戦争の象徴として享楽的な曲を入れたいから作って」と頼む方も、それに応えてこれを作る方も、凄すぐる(※経緯は勝手な妄想です)。

2枚目、8曲目“アメリカの、あの世”

「あの時、9月11日、ワシらは何を亡くしたのだ。
 とにかくこれ以上損なうわけにはいかない
 だからワシは駄々を捏ねるのじゃ」

実は、前曲で語られた戦火の拡大は、911ファンタジア世界では現実の出来事であるらしいことが語られる語りパート。
その原因を「世界が何かを失った」ことに求め、「50年経った今も分からない」というおじいちゃんの言葉で、ここまで何となく思い描いていた「答え=音楽」というラインが微妙に揺らぎ始めて、困る。
いや、多分、音楽で何かをする、あるいはある種の音楽を創作することは「答え」の一つに含まれているはずなんだけど、「音楽」だけではなく、より重要なメインがあるっぽい。
って、考えてみれば、こういうアルバムを作ろうと思う人が、仮に音楽の力を最大限に信じていたとしても、音楽だけで何とかなるとは考えないよなぁ。
その後、「音楽の場所に、命の場所に行こう」と続き、「上へ、下へ行ってみた」「左に、右に」とその試みを語り、「衰弱していく米国のその上には、米国のあの世があった。そこにはワシの憧れたソウルミュージシャンたちの多くがいた」と続く。
…………ヾ(。〆゚)ノ゙
Don't think, feel、でいいんでしょうか、旅人先生。

2枚目、9曲目“ヘヴンリィ・パンク:アラマルチャ”

さっきの子供たちがもう降りて行くよ。
俺は信じてなかったけど、生まれ変わりがあるのかも知れない。
だって、こうして、天国があるんだから。
もし無事に生まれたら、歌ってくれるかい? 本物の人たちよ。

「架空の天国の中」「幻の中」からの、世界の(戦時中の)光景を描く、語り中心の抽象的な楽曲。穏やかな雰囲気ではあるけど、暴力的なサウンドを多く伴う衝撃的な名曲。
2ndアルバム“ヘヴンリィ・パンク:アダージョ”に収録されなかった(らしい)タイトル曲との関係は不明。
多分関係ない。
この曲を聴くと、どうしようもなく戦火が広がり、大量の人々が死んでいく中、信じていた音楽に無意味に病的に縋る旅人おじいちゃん、という光景が思い浮かんでしまう。
多分、この曲の時点で、世界は既に手遅れなところまで行ってしまっているのかも知れない。

2枚目、10曲目“「啓典の民たちの、あの世」”

アメリカのあの世は、イラクアフガニスタンイスラエルパレスチナ
 他のたくさんの国々のあの世と繋がっていた。
 それらは、ほとんど同じ形をした天国だった。
 唯一つの神様を信じる人たちの、天国じゃ」

語りパート。
「きっと、音楽はあの世でも……」と、もはや現実に対して何の効用もないことを言い出し「ワシには、掴めない……」と、“千年の願い”と真逆のことを呟く旅人おじいちゃん。
2枚目の内容とは、音楽を信じる旅人おじいちゃんが現実に打ちのめされ無力感を覚えるまでの過程なのかも知れない。
掴みたい対象を「(ポニーの)尻尾」と表現し、次の曲へ。

2枚目、11曲目“あの娘はまるでポニーみたい”

ドラッグやっても 宗教やっても 忘れられない愛しい人
女装をしても 会社辞めても 忘れられない愛しい人
憲法変えても 戦争やっても 忘れられない愛しい人
武装をしても 人殺しても 忘れられない愛しい人
あの娘は笑う 「貴方たちはやれる」って
あの娘はまるでポニーみたい

ギター弾き語りではあるけど、フォークかと思ったら二順目にまさかのパンクソングに変貌する。単純な曲ではあるけどなかなか。
そして、1枚目の4曲目“いまのうち”に続いて、女性の登場となる。
旅人おじいちゃんが掴もう、捕まえようとしている何かは、この辺りから、ある女性(女の子?)に集約されていく(一人かどうかは不明)。恐らく擬人化された何かだとは思うんだけど、“いまのうち”では(3枚目で分かる通り)電話を掛けてきているので、現実ともリンクしているのか、それとも“いまのうち”の出来事すら比喩なのかは、不明。
そして、ポニーを捕まえようと興奮し「ニンジン、ニンジン!」とキ○○イのように絶叫する旅人おじいちゃんを孫が再び諫めたところで、次の曲へ。
……ところで、(恐らく何かの擬人化であり、旅人おじいちゃんが捕まえようとしているところの)「あの娘」が「ポニーみたい」なのは、多分何か出典・引用元があるんだろうけど、正直何も知らない俺には女の子がポニーテールだったとしか思えません><
ポニーテール萌え。
氏ねよ、俺orz

2枚目、12曲目“「3度だけ」”

「何しろ、若かった。何も怖くなかったよ。
 錯覚だろうがなんだろうが、触りたいものがあったということだ」

次のアルバムへの引きとなる語りパート。
「立てなくなるほど打ちひしがれたこともあったけどな……たった、3度だけ」
いい引きです。

3枚目、へ続く……

ここまでの文章の混乱っぷりが、2枚目の分からなさのバロメータそのものと言えるくらい、「わからない」「わからない」と連呼していた気がする。
実際聴き込んで、文章にしてみると、自分で思っていた以上に何も分かっていなかったことが分かって、ちょっと面白かった。咀嚼力が全然足りてないわけですな。
次は3枚目……がんばるぞー。