たまにはこんなこともしてみよう

ダークナイトは2年以上前……というかほぼ3年前に公開された映画であるからして、既に色んな人が感想・レビュー・分析その他を公開されている。その中には、経験値の差だろう、自分ではとても気づかないような慧眼を披露されている方もいれば、そうでない人もいる。
そんな話。
シンプルに書けるかなー。
http://d.hatena.ne.jp/SHARP/20101008/p1

そう、この映画はこう断罪*1する。「ヒーローの本質は暴力だ」と。
(中略)
暴力に正当性はない、たとえそれが正義という名の下に行使されようとも、それは単なる私刑に過ぎない―
 
アメリカ軍のイラクからの完全撤退」を公約に掲げてバラク・オバマが大統領選挙に当選したのは、この映画の公開された年と同じ2008年の出来事であった。

さて。
ダークナイトでは、バットマンやそれに代表される所謂「スーパーヒーロー」の行ない*2が、実際には犯罪行為であり、個人がそんな力を持つことは危険でないか、という観点が提示されている。これは間違いない。
それは、バットマン罪もない一般市民の物を破損させたり、派手な盗聴行為を行なうシーンによって示される*3
ただし、それらに対する価値判断は示されない。つまり、映画は断罪などしない。

■市民の場合

市民がバットマンを歓迎しない描写はある。デントの記者会見でのシーンがそれだ。しかしそれはジョーカーの脅迫に取り乱した結果に過ぎず、市民はデントが正論を吐くたびに沈黙する*4
また、市民は最後にデントの正義を選ぶが、そのデントはバットマンの必要性を肯定していた。リースのテレビ出演時に質問で言われていた通り、デントを支持する声はそのデントのバットマン観も込みで支持していたし、リースはと言えば「デントは折れた」と考えていた。
そして、市民がデントを選んだ時、天秤の反対側にぶら下がっていたのはバットマンではない。ジョーカーの脅しだ。よって市民はここまではバットマンを否定していない。
観た人は知っての通り、最後には「市民がバットマンを否定することになるんだろう」と思わされる展開になるが、その根拠はバットマンとゴードンがでっち上げた嘘であり、バットマンの意志でもある。嘘を根拠に否定することを主張としての断罪と称するのがどれだけアホらしい話かは、言うまでもない。

■ゴードンの場合

ゴードンは見ての通り最初から最後までバットマンを否定しない。ただ、否定させられる立場になってしまっただけだ。

■デントの場合

デントもバットマンを否定していない。最後にバットマンを撃ったのは単に「お前*5のせいでレイチェルが死んだー」という八つ当たりであり、バットマンという存在やその大局的な行ないとは何ら関係ない攻撃に過ぎない。

■ジョーカーの場合

ジョーカーも特に否定はしていない。というか、否定する試みが失敗に終わった。
ジョーカーは取調室で、バットマンを"Freak"*6だと断ずる。これは映画の主張と考えて差し支えない。ジョーカーはバットマンを暴くための舞台装置であり、ジョーカーのバットマンに関する認識は、マフィアに語った大嘘を除けば全て映画の主張と考えて差し支えないはずだ。
しかし、そのジョーカーがバットマンを暴くために用いたのは「自分の命を差し出す」という手段である。つまり、ジョーカーは「バットマンが『人を殺すような奴』であるならば、バットマンは単なる偽善野郎だ」という前提を持ち、自分を殺させる事で「バットマンが『人を殺すような奴』である」事を示し、三段論法でバットマンを否定しようとした。結果は観ての通り。一時はジョーカーを殺す決断をした(つもりになった)バットマンだが、最終的には殺すことなくジョーカーを片付けた。
つまり、ダークナイトにおいて、バットマンを否定する手段とは「バットマンが人を殺すこと」であり、ジョーカーですらバットマンを否定することは出来なかった。

■ラストシーン

「いや殺したじゃん」と観た人は言うと思う。うん殺したね。
しかし、ジョーカーが失敗してからトゥーフェイスが死ぬまでの間に、「バットマンが人を殺すこと」の意味は変質している。つまり問いが変わっている。
何故なら、それまでのバットマン*7人を殺すチャンスでは、別に殺さなくても正義を守れる可能性があった*8。つまり、問いは単に「犯罪者を断罪する方法として、殺しってあり? なし?」というものだ。そして、少なくともこのシリーズでは答えは決まっている。「なし」だ。試されていたのは単にバットマンの人格であってバットマンの正義ではない。
が、最後の場面、トゥーフェイスが死ななかったらどうなるか。人々は「純白の正義なんて紛い物だった。俺達の信じた正義は偽物だった」と考えてしまう*9。ここにきて初めて「正義ってなんだ」という作品中最重要の問いが提示される。厳密には最初からチラチラ見えてるんだけど、ハッキリ問われるのはここが最初だ。
そして、バットマンは結論を出す。「人々が信じる正義のためなら、殺しはやむなし」と。そしてデントの犯した罪を引っ被って*10バットマンは悪呼ばわりされることを選ぶ。
しかし、観客は一部始終を観ている。映画は一部始終を見せている。
途中までヒーローの禁忌だったはずの「殺し」が、いつの間にかヒロイックな行為に摩り替わっている。しかしそのおぞましさは健在であり、それと同じ行為であるデントの罪は裁くべきものとして認識され続けることになる。

■まとめ

さて、どうまとめたもんか。
まず、前項の通り、ダークナイト善や悪という概念の表面的な複雑さを提示しているのは間違いない。最初からそうだ。バットマンは法は破る。ゴードンは不正警官を運用せざるを得ない。唯一の例外だったデントはチンピラ同然の復讐鬼に堕ちる。
ただ、その中にも「確かな善」はあるだろう、とも提示しているはずだ。そうでなければ、第一のクライマックスにジョーカーの決定的敗北*11を持ってきたりなどしない。あれがデント頼みでさえなければ本物の善だった、と少なくともダークナイトは描いているはずだ。だから傷つける必要があった。
そして最後には、それを守るためにバットマンは手を汚さなければならなくなる。バットマンがあの場面で初めて手を汚した事実は、バットマンが守るべき「本物の善」を知っている証拠に他ならない。つまりバットマンの善もまた本物だ。それはウェインとデントの初邂逅で既に示されていた。デントの目指し実現しかけた善と、バットマンが守ろうとしていた善は本物だ。
ダークナイトバットマンを断罪した映画ではなくて、バットマンに泥を被らせることでバットマンの持つ本物の善の輝きを浮き彫りにした映画だ(それは、解釈次第では冒頭に引用したような「それまでのアメリカの『正義』の否定」どころか「本物の善のためには過ぎた手段もやむをえない。例え人々がそれを非難しようとも」という肯定と捉えることも可能であり、実際そう捉えてダークナイトを批判する声もある。どちらも短絡的な解釈に思えるけれども)。
なにせ、原点のバットマンダークナイト・リターンズからして、そういう作品だ。「バットマンって実際にいたらモロ違法で危険人物だけど、その善は本物だよね」っていう。ウォッチメンとは違ってヒーロー否定まではする気がないのがDKRであり、その精神は映画ダークナイトにも息づいてる。

■最後に

……と思うんだけどいかがなもんすかね。

*1:前提として。断罪とは罪を指摘することではなく罪に対して裁きを下すことです。

*2:前から使ってるけど、「おこない」を「行い」ってやると読みにくい場面が多々あるので意図的にこちらの送り仮名。

*3:逆に言うと、犯罪者に対する暴力行為によっては示されない。なぜならそれは一般的に映画の中ではよく見られる光景であるし、激昂してのジョーカーに対する暴力を除けばバットマンの暴力は時代劇の殺陣同様にその危険性を丁寧に取り除かれている。

*4:そして自分達寄りのヒステリックな大声が上がるたびに賛同して盛り上がる。ちょうど、地震原発事故が起きた途端に「なんで原発なんて危険なものを使ってたんだ」と吹き上がり始めた人らみたいに。

*5:厳密にはバットマン+デント+ゴードンの3人だけど。

*6:「化け物」って訳されてるけど、まぁ「キ○ガイ」だよね。

*7:取調室で激昂した「バットマン姿のブルース・ウェイン」はノーカンだ。あれは物語上別の意味がある。

*8:まぁコミック他でのジョーカーの事を考えると無理だけど、可能性は可能性。

*9:これが事実かどうかは判断が難しい。象徴たるデントは紛い物だったけど、それは象徴する資格がなかっただけ、とも言える。

*10:そういえば、デントを殺した罪も被ったのかな。それともそっちは別の死因って事になったのかな。

*11:切り札のデントとかはまた別の話。