そろそろ終わりにするかね。

例の件で新しいエントリが上がっていたことにTwitterで気づいてしまった。そういえば、最初のエントリに気づいたのもTwitterだった。罪なツールね。
てか、自動トラックバック設定切ってもトラックバックって飛ぶもんなんすかね。
もうあらかた言いたいことは言ったので、ちまっと言及するに留めておこう。

私が問題としているのは、「ミラーはこのようなアプローチでヒーローと犯罪の戦いを優れたフィクションにすることに成功した。じゃあ、同じアプローチであるにせよ違うアプローチであるにせよ、ノーランは成功しているのか?」ということです。

「違うアプローチ」と言うと怒られそうなので違う言い方をするけど、氏がTDKについて「バットマンを描く作品である」という以外の観点で言及したのは、新エントリが初だ*1。元エントリには、「バットマンを描き出す作品として優れている」TDKRやYOとの比較くらいしか具体的かつ「論理的」な言及はない。
俺はTDKRを一応知ってるのでそれも含めて書いたけど、前回のエントリは俺がTDKRを全く知らなくても書けることだ。というのは、今回の言及にとって重要なのは「TDKRが真実どのような作品であるか」ではなくて「氏が『どのような作品である』としてTDKRを引き合いに出したか」という元エントリ上の記述の方だからだ*2。TDKR他例に出された作品や作品群がどのような性質を持っていようが、氏が元エントリで問題にしたのは「バットマンの描き方に優れているという面」だけであり、「TDKってそもそもそんなに『バットマンを描く作品』だったっけ? これだけでTDKへの攻撃とするのは片手落ちじゃね?」という違和感が俺の一連のエントリの動機となっていた。
新エントリには「違うアプローチ」、つまり「バットマンを描く作品、という以外の観点」でのTDKへの言及が行なわれた。元エントリほどの内容ではないけど、これで元エントリはともかく、氏のTDK観に言及する動機はなくなった格好だ。

この部分からは、「ノーラン版のバットマンはリアルなのか」ということしか伝わってこない。そして、ヒーローもののコミックスにも、またそれとは全く無縁のジャンルにも、対テロ・対凶悪犯罪の描写という点で「作品世界がリアル」なものなんてごまんとある。これでは、ノーラン版ダークナイトの何が優れているのか、具体的なところがまったくわからない。

前述の通り、前回のエントリで問題にしたのは「元エントリの論旨」であって「ノーラン版TDKの何が優れているのか」などではない。そもそもが「元エントリはTDKRとの比較に終始している」と書いたら「それは捻じ曲げだ」と指摘されたので「どこが捻じ曲げか言ってみろ」と書いたのが件のエントリなわけで、最初から否定派の氏に対して肯定派の俺がTDKの優越性を証明してやろうとかしたわけではない。どうして「ノーラン版TDKの何が優れているのか」が書かれていると思ったのか、不思議でならない。

私にとっては100%時間の無駄なので、トラックバックを送るなどしてからんでくることは今後やめていただきたい、と希望する。

これはさすがに……ブログ活動は自分のペースで行なってご自愛くださいとしか言いようがない。まぁそう言われたので気をつけるけど。
おまけ。

内容面でナチを賛美するような映画には、批判されなければならない部分もある

ナチを肯定しようが否定しようが、イルカ漁を肯定しようが否定しようが、南京虐殺を肯定しようが否定しようが、それが優れた表現によってなされたならば賞賛に値する、と俺は考える。対象層に受け入れがたい価値観を称揚すれば難易度は上がらーな、というのはあるにせよ。

*1:今回の2つ以外のエントリで既に触れてたらマジごめんなさい。

*2:前回のエントリでTDKRとYO以外の名前が挙がらないとか言われたけど、挙げる理由ないよね。