ダークナイトについて

映画『ダークナイト(以下TDK)』において、バットマンの情報量がかなり少なくなっているのは間違いない。前回書いた「前作で表現されたバットマンっぽさの減退」もそうだし、両親を殺されて云々という前作での重要なバックボーンにも少しも触れられない。TDKバットマンは、動機においては「よく分からんけどとりあえず【正義】に対して盲目的なモチベーションを持ってる人」くらいの描写に終始している。
これは、TDKにおいて意図的な部分でもあり、ある部分については問題点でもある。
前回や別のエントリで書いた通り、そもそもTDKはビギンズの続編の体をほとんど採っていない。「TDKの世界に何故バットマンみたいな人がいるか、気になる人は前作を見てね」くらいのものだ。
その上で、バットマンの描写が減ったこと自体は意図的なものだろう。TDKにおいてバットマンの役目は、デントと共に「正義」を体現する善玉として悪玉のジョーカーと対する事(と、善玉の中でデントとの表裏を為す事)だ。「正義」とは観客に問いかけるべき一般的な「正義」であり、それを体現するべきバットマンら三人や一般市民がジョーカーに揺さぶられる様をもって「正義」について問い掛けるのがTDKの大きな意図になっている。
なので、ジョーカーが揺さぶるのも、前回挙げたような「正義は常に後手に回される」「正義は制約が多い」「正義の体現者も所詮は人」といった(TDK内で想定されるところの)一般的な正義の弱点に終始する。バットマンの狂気……ってほどでもない、手段を選ばないというTDKバットマンに特有*1の在り方については、取調室で雑談ついでにチクッと刺すくらいだ。それはそうだ、バットマンバットマンに特有の問題で揺さぶられたところで、それはバットマンの物語でしかない。もちろんバットマンの物語だから駄目だということは全くないが、TDK全体で大まかに意図されているのは「バットマンの物語」ではないので、バットマンに特有の要素の描写はある程度省略されたのだ。この辺りは意図的なものと考えてまず間違いない。
また、TDKはキャラクターではなく現象と構造で物語を描く作品になっている。悪い言い方をすればバットマンを含む主要登場人物は物語の駒に過ぎない。物語を含む創作において登場人物が駒である作品は一般に駄作とされるが、TDKは登場人物たちにキャラクターの代わりに記号的な意味を与え、絶えず意味を描写・比較・変遷させることで物語を描いている。また、物語の都合ではなく作中で刻印された「正義」を指針に行動しているため、一般的に批判される意味での「駒」かは疑問が残る。こうして意図は、俺らTDK肯定派に対しては成功し、TDK否定派に対しては失敗した。
しかし、意図したにせよしていないにせよ、明らかな失敗もある。

バットポッド特攻

例えば以前TDKの感想でも書いた、バットポッドによるジョーカーへの体当たりシーンがそうだ。バットマンは轢き殺しかねない勢いでジョーカーに向かい、直前で踏み止まったことで窮地に立たされる。
絵的に美しくジョーカーの演技も冴え渡る名シーンだが、「そもそもなんでバットマンはジョーカーに突っ込んだの?」という点に対する答えが提示されていない
TDKバットマンは敵が犯罪者であっても殺しはしない*2。しかし、あのシーンでバットマンはジョーカーを殺しにかかった。ジョーカーが一線を越えなければならないほどに凶悪だから、と考えるのが妥当だが、偽バットマンが面白半分で殺された後のジョーカー戦では殺そうというそぶりはなかった。その後に警官2人が殺され市長が狙われたが、ジョーカーの凶悪さの描写がエスカレートしたようには見えない。アルフレッドがジョーカーの凶悪さを昔話で説明するシーンも間に挟まるが、あれで翻意するのも変な話だ。レイチェルが死んだ後の「森を焼きました」を聞いてならまだ分かるけど*3
描写がエスカレートしてなくても、バットマン=ブルースが「ジョーカーは殺さなければならない」と決意する(あるいは血迷う)シーンでもあればとりあえず納得はいく可能性もあるが、それもない。これも前書いたかな。このシーンの元ネタがバートン版バットマンなのは間違いないけど、あっちはそもそも非殺の信念自体があまりないので、バットマンは思いっきりジョーカーを射撃するし、ジョーカーを殺せなかったのは単に弾が当たらず、撃墜されたからだ。TDKのそれより構図は単純だが、筋はこちらの方が通っている。
このシーンが肯定的に取り沙汰されるのは、アクション面のクライマックスであり、それにふさわしい格好良さと美しさを持ったシーンだからだと思うけど、物語としては相当の疑問符が残る。

■フェリーシーン

もう一つは、終盤の一般人と囚人が爆弾フェリーに乗せられたシーンだ。「囚人たちを爆破するか、爆破せず囚人かジョーカーに爆破されるのを待つか」という、損得勘定で言えば囚人を爆破するしかないじゃんという二択を強制された市民は、多数決までして爆破を選ぶものの、誰一人として自分の手で爆破スイッチを押せず、一方囚人サイドもボス囚人が格好良いところを見せた結果スイッチは押されず、ジョーカーの意図は覆されてしまう。
まず「そもそもこの市民の行動がそう肯定的に捉えられるものなの?」という指摘がくるだろう。市民は最初さっさと爆破しろと盛り上がり、頭良さそうな人が多数決を提案*4すればまぁ自分らに不利になるはずがないので乗っかり、実際に多数決で倍近い圧倒的多数で賛成を導き、しかし「じゃあ自分で押せよ」となると引き下がってしまった。臆病風に吹かれただけじゃん、という指摘はいかにも妥当だ。
俺自身は、ここに疑問を挟むつもりはあんまりない。「殺すという事実に面と向かえば簡単に人など殺せない」という程度の善で、希望としては十分だと思えたからだ。とはいえ、この点について「なんで押さなかったか分からない」という声が多く出ている以上、問題はあったと考えるべきだろう。
さて。このシーン、疑問を残しつつも「ジョーカーざまぁww」な爽快感と美しい展開で幕を閉じるかと思えば、ジョーカーによって「デントのおかげでした」ということにされて味噌が付く。こちらの問題はより重大だ。何しろこの直前に市民は「リース殺さないと病院爆破するで」という脅しに対してヒステリックに反応し、リースのいる放送局に殺到、一人は発砲までしている。パニック気味でもあるので「殺すという事実に面と向か」っていなかったと言う事もできるが、これ以降にも以前にもデントの影響が市民に伝播している演出は殆どない。「君は市民に人気だ」とか言う市長の台詞があった程度だ。
これについては、いくつかの意図があって結果が出るまでデントの影響は意図的に隠蔽されていたと考えられなくもない。
一つは、デントの影響なんか描写したらスイッチ押さないのが丸分かりになってしまう*5ので隠された可能性だ。まぁ要はクライマックスを盛り上げるためということだけど、それならそれで「デントへの信頼とジョーカーの恐怖で揺れている」描写くらいは欲しいもので、やはり不足には違いないように思える。
もう一つは、前述のバットマン描写不足問題に近いが、観客に「自分なら」と考えさせる上でTDKに特有の「デント」という要素が邪魔だったので隠された。このシーンの市民は「ゴッサム市民」であると同時に、ある意味「観客自身」でもある。しかし、「ゴッサム市民」と違って「観客自身」にはデントはいない。そのため、デントの影響を描写するのは逆効果だったのだ、と言えなくもない。が、デントを良心の象徴と考えればやはり「デントへの信頼とジョーカーの恐怖で揺れている」描写くらいはあってもこの問掛に支障はなかったはずだし、物語に大いに貢献する可能性があるこの場合ならなおさら必要だ。
なんにせよ、これまでずっと「駄目な方」であった市民が何故ここで「マシな方」を選べたのかは、不明だ。観客自身への問いが含まれるという構造上はぐらかされる面もあるが、物語としてみれば疑問が残る。
で、結局何故押さなかったのか、というかノーランは押させなかったのか……観客に対して「押さないよね……よね?」と言いたかったか、「お前らどうせ押すだろ」と言うほど度胸がなかったか見下してなかったか、どっちかじゃないのかなぁ。
なんにせよ、ゴッサム市と違って現実にはバットマンもデントも*6いないわけで、「市民の善意をデントが築きバットマンが守った」点まで観客への目線だと考えるのはいかがなものかと思う。

■好評の方が多い理由

TDK肯定派なのに散々欠点を書いてしまった。まぁ、書くだけならケチつける方が褒めるより簡単ではある。
しかし、ここまで書いた中には物語のかなり根幹に迫る欠点もあったのに、巷ではTDKはかなり好評だ。何が起きてるんだろうか。こんなの肯定派が書いたって大して意味はないので否定派の人の言を参照したいところ*7だけど、今んとこやってる人を知らないので自分でやる。
最初に考えられるのは「観た人にバットマンファンが多いから」。とはいえ、どこぞの氏のような批評性まで備えたレベルのディープなファンではない。これは主にバットマンの描写について有効だが、つまり既存のバットマン像がTDKの描写不足を補った可能性。
例えば、TDK内で「バットマンが非殺の信念を持っている」という描写は多くない。味方には違いないはずの偽バットマンの銃をひん曲げた上に殴り倒し、他の銃持つ暴漢も素手で生かして捕らえた冒頭シーンくらいだろうか(ポッド特攻は非殺の描写ではなく、非殺の信念を前提にそれを捨てるか捨てないかというシーンなので、これには当たらない)。
が、観た人の中で既存のバットマン像が無意識に前提化されていれば、「まあ、バットマンだから殺さないわな」と納得するということはありうる。TDKを褒める声の中に「バットマンの狂気」とかいう言葉が散見されるのも、このような作用の結果だろうと思われる。
まぁ観たもんが満足すればそれ以上言うことはないけど、こんだけ色々仕切り直してるTDKで、バットマン描写の足りないところは旧来像にお任せってのはいかがなものかという気はする。まぁ一応「ビギンズの続編ですから」という言い訳は立つのか……立つのか?
ただしこれは、失礼ながら当然日本ではあまり作用しないはずだ。実際、バットマンシリーズ自体全くの一見さんであるらしい人による「なんでバットマンがこんな活動してるのか分からなかった……」的な評はしばしば見かける。
次は、「頭で分かる程度には描かれているのでそれで納得している」可能性。だいたいこっちじゃねーかなぁ。
TDKはしばしば説明台詞が多いと言われるが、それに加えて説明描写も多い。つまり、事実は画面に現れてるのでそういう設定なのは理解できるが、深く納得できるほどの描写はされていないということが多い。例外はほとんどジョーカーだけだ。ただし、前述した明らかに意図的なバットマンの描写省略*8を考えれば、ジョーカーがやたらと鮮やかに描かれているこのバランス自体は意図的なものだろう。
要するにストーリーテリングという点ではほとんど「あらすじ」レベルだということで、それで理解はともかく納得や満足ができるか、という点では、やはり疑問が残ってしまう。あらすじで十分な程に優れた物語だった可能性もなくはないが、それにしてももっと何かが必要なはずだ。
ということで最後は「TDKを構成する他の要素のおかげで、物語が「あらすじ」程度でも大丈夫なようになっている」可能性。
俺はTDKを指して「最初から最後までクライマックスが続き、気が付けば物語は描き終わり、テーマが表現されている」と書いた。また、他の誰かがTDKを「何も考えずに観られるドラッグ・ムービー」の一つとして挙げていたのを見たことがある@Twitter
世界観や展開が暗いだとか、テーマが深刻だとか、2時間半の長丁場だとか、いかにもHeavyそうに思える要素が多いのであまりそうは言われないが、実のところTDKはかなり軽く観られる映画だ。人の神経を逆撫でするような演出はデントの「Say it!!!」くらいのもんだし、ジョーカーも凶行凶行狂気狂気言われる割には肝心の目を覆うような行為は大抵画面外で、スマートでクリーンで見ごたえのある犯行に終始する。テンポも恐ろしく良い……というか速い。序盤こそブルースの日常を説明するためのシーンにゆったりしたところはあるけど、ラウ逮捕計画辺りからは一直線だ。
先述の描写が薄い、足りないといった特徴は、TDKの軽さや展開の目まぐるしさを肯定的に捉える人にとってはプラスに作用したとも言えるわけだ。実際「ちょっと観ようと思ったらついつい最後まで観てしまった」みたいな事を言ってる人をちまちま見かけるのも、単にTDKが魅力的だというよりは観やすい映画だからと考えた方が合点が行くだろう。
どこぞの氏が指摘したような意味深さはともかく、視覚的快感という意味での画面構成や演出は恐ろしく決まっているし、画面を賑やかす諸々のアクションも格好良く撮れている*9。そういう意味ではほぼ名シーン*10数珠繋ぎと言っていい。IMAXで撮影された要所のシーンの美しさもそれに貢献している……らしい。俺はIMAXの恩恵は受けていない。
また、テーマを描く上での対比や変遷を強調する演出もよくしたもので、デントの顔やコインにまつわる辺りが分かりやすいけど、他にもパーティ襲撃時における3箇所での犯行を並行して描写した盛り上げ演出を終盤でも繰り返して、フェイントでバットマンの新兵器を開陳すると同時にそれとなく「この装置は一線を越えた代物なんだよ」と印象付けたり*11バットマン、デント、ゴードンの3人が集うシーンを序盤とラストのたった2つに絞って劇的Before Afterとするなど、テーマを印象付けるためという方向性での演出はかなり注力されている。
まとめると、あらすじ程度の情報量しかない物語に、無心で鑑賞できる軽さ、映像面での満足を与えるアクションとダレさせない展開の速さ、物語の核であるテーマを強調する気の利いた演出、そして魅力的な「unstoppable force*12」であるところのジョーカーの色気が加わることで、鑑賞者はとりあえず腹いっぱいになって満足し、描かれた物語は頭に入りテーマは心に残る……という現象が、TDK肯定派に対しては起きたんではないか、ということ。
結果、TDKはどんなに頭の悪そうな肯定的感想でも「正義について考えさせられましたー」とか言っているような作品に仕上がった。
そして、諸々の要素の成否はともかく、TDKがこうした方向性の映画であること自体は、意図的なものなのは明らかだろう。なんせ、「あらすじ程度の情報量の物語」が「展開が速い」にも関わらず二時間半だ。脚本自体が最初からこの方向性を指向して書かれていると考えるより他にない*13

バットマン

バットマンの存在が、TDKの物語において「バットマンの物語」と言えるほど重要でないのは既に書いた通り。バットマンはデントと同格で二人合わせてジョーカーの対極であり、「動かざるもの」という役割を与えられたためにキャラクターとしての印象も薄い上に物語とテーマ(と尺の都合か何か意図外の事情)のために設定まで削られた。
にも関わらず、TDKはしばしばキャラクターもの実写化の成功例として捉えられ、そこを通り過ぎて「またTDKっぽい実写化か」と呆れられるまでになっている*14
TDKは現象と構造で描かれた映画だと先述した。TDKバットマンというキャラクターを良く描写した映画ではないが、バットマンという現象……つまり他人事としての存在を良く描いた映画ではあった、と言えるかも知れない。
まぁ前のエントリで書いた話。作品世界の徹底したリアル志向と、可能な限り現実的にリファインされた特殊装備や能力や活動の数々に彩られた実写映像は、悪人を逮捕するのに大真面目に翼を広げて飛翔するような男の存在に物凄い現実感を与えている。俺なんかよりずっと真面目にTDKを受け止めたであろう伊藤計劃氏の言葉を借りれば、

「実写になる」だけでもオタクはうれしがるけれど、それがさらに「リアルな世界で展開される」とまた別の快楽をオタクは覚える。

というわけだ。リアル志向というのは、人間が現実を認識するのに近い実写映像作品という分野で特別大きな意味を持つ。まぁ、こうした描写の中にはあの銃弾解析シーンみたいな「……えっ?」と思うシーンもあったわけだけど、テーマ性とかとは別にこうした方向性でも観ていて楽しい作品だと思う。バットマンはリアルだが、そのバットマンが実写映像の中で「いてもおかしくない」風に躍動する姿は夢のようだ。
TDKバットマンにはジョーカーほどキャラクターとしての魅力はないが、間違いなく同じくらい映画の魅力に貢献している。これがバットマンがいなくて代わりにゴードンがジョーカーを追い、最後にデントを殺して市民の希望を守る映画だったら、恐ろしくドライな夢も希望もない作品になったことは想像に難くない。アクションだってバットマンがリアルに無茶をするからこそ面白い。バットマンTDKが必要だったかはともかく、TDKには間違いなくバットマンが必要だったと言える。
話は変わって、そのバットマンに関する描写不足を散々指摘してきたわけだけど、ジョーカーとの決着を見ることでラストシーンへの前振りとして辛うじて間に合っている。つまり、ポッド突撃のシーンには間に合わなかった非殺の信念についての描写が、ジョーカーを生け捕りにしたことでギリギリ完成をみたのだ。そしてラストシーン、直前にジョーカーに対して非殺の信念を貫ききったバットマンは、しかしトゥーフェイスと化したデントを前に一線を越え、彼を殺害する*15。デントはレイチェルの復讐に5人殺したが、果たしてこれまでの生け捕りにされたジョーカーら犯罪者より生死を分けるほどに重罪だっただろうか。そうは思えない。バットマンは、デントの作り出した善意の空気、つまりは正義を守るために、邪魔者であるトゥーフェイスを始末したのだ。恐ろしくどす黒い決断だと思う。それに比べれば5人殺害の汚名を被ることなど些事であって、正義のために越えてはいけなかったはずの一線を正義のために二本くらい跨ぎ越した、理性による禁断の決断にTDKが贈った称号こそが A Dark Knight なわけだ(……と俺は思うんだけど、大抵の感想は「自ら濡れ衣を着たバットマンかわいそす……A Dark Knight」って感じだよね。まぁそれも悲惨には違いないんだけど。俺が間違ってんのかなぁ)。
いずれにせよ、ここでバットマンの物語になるなら最初からもう少し頑張っとけよと思うし、そういう空気の変化が「ラストシーンは蛇足」と思う層を生んでいるのかも知れない。ジョーカーに比べればTDKトゥーフェイスは小物なのにオチに持ってくるなよ的なアレの方が多いだろうか。それまでの決めロケーションに比べて、最後の舞台が地味で映えないとかそういうのも関係あるかも知れない。

■おわり

というわけで、以前書いた「気に入ったから褒めるぜ」な感想からは一歩引いたTDK評を記しておいた。一歩引いただけでエラい違いだけど、そんなに的外れにはなってないことを期待したい。
なんでこんなの書いたかと言うと、作品の優劣はともかく、映画という巨大な構築物の、しかもある程度成功*16を収めた作品に対して、「自分がどのようなものを描いているのか、自分でもよくわかっていない。」はないだろ、と思ったからだ。多くの人間に企画意図を納得させなければ作れない分野の、失敗とはいえない作品なら、少なくとも明確な企画意図が概ね達成されているという前提は必要だと思う。

*1:もちろん「他のバットマン作品と比較して」ではなくて多くの観客が属する一般市民と比較してだ。

*2:ビギンズはもちろん、TDKでも最小限だが描写自体はされている。十分かと言えば、不十分だ。

*3:あれはあれで「焼かなかった」ことへの後悔を強調するとかそんな狙いもあったんかなぁ。話自体は良い話だけど、作中での機能はイマイチはっきりしない。

*4:ちょっと違うけど。

*5:デントは事前に一度、「恐怖に屈してそれをするのか」という問い掛けをしており、それはそのままこのシーンにも通じる主張だ。状況自体も近い。

*6:あるいは、作中の彼らと同様に信じることのできる善なる個人や組織。

*7:ってか例の氏はやろうと思えばできるんじゃねーの?

*8:そうじゃない描写不足とは分けて考えること。

*9:ビギンズはアクションイマイチだったしね。

*10:バットマンのポッド突撃が名シーンだ、っていうのと同じような意味で。

*11:直後に説明台詞入るし、それでも描写としては不十分だけど、説明にはなってる。

*12:バットマンは「immovable object」だっけか。正義側が受身であることは明確に自覚されていたわけだ

*13:これでも、パーティ会場からジョーカーが逃げるシーンなどちまちまカットされてるようだ。

*14:実際、そういわれる作品がTDKっぽさを指向しているかはともかく

*15:つってもここ解釈分かれるよね。あくまでも子供を助けるためでデントは不慮の事故だったって人もいるし。デントはゴードンを撃つ気だったじゃんねぇ。

*16:つまり、大いに売れて、評価も概ね高い。