「それが何を証明するのか」

は、ちゃんと考えないとね、的なことを書く。

■1. 音楽も「自然淘汰で進化」する。ダーウィン進化論と音楽の関係を解明(英研究)

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音の断片を、アルゴリズムを用いてランダムに組み合わせ、聴き手の選択という自然淘汰にかける。すると騒音から、心地よいメロディになった。

この実験内容からは、大雑把に以下のことが分かる。

  • 自然淘汰によって心地良い音楽が作られる(ことがある)

逆に、以下のことは分からない。

  • 世の中の心地良い音楽は自然淘汰の結果作られた

まぁ、当たり前の話。ある結果をもたらす一つの方法が分かったからといって、それがその結果を世の中に広くもたらした方法であるとは言えんよね。
「音楽は自然淘汰によって進化してきた」かどうかを考える上で、「自然淘汰で音楽が進化することがある」と分かったのは前進ではあるけど、十分な証明とは到底言えない。

■2. 他言語に吹き変えたものに字幕をつけたものを見せて字幕派に「やっぱり字幕のほうが・・・」と言わせた可哀想なブラインドテスト

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Chishow そいや他言語に吹き変えたものに字幕をつけたものを見せて 字幕派に「やっぱり字幕のほうが・・・」と言わせた可哀想なブラインドテストが昔あったな

まぁ可哀想な実験ではあったけど、どれくらい可哀想かは実験の解釈によって異なる。
この実験内容からは、大雑把に以下のことが分かる。

  • 「映画は字幕」派による「吹替は本来の声・演技と異なるために違和感がある」という主張は誤りである(可能性が高い)

逆に、以下のことは分からない。

  • 「映画は字幕」派が吹替に対して覚えている違和感は勘違いである

これも、まぁ少し考えれば分かる話。字幕派の自己分析が誤っていた可能性はあの実験を観る限り高いと思われるけど、じゃあ字幕派が字幕派になった理由である感覚や認識まで誤っていたのかというと、それはまた別の話。この場合、本来の声と他言語の吹替を差し替えたことで、失われてしまった特徴と失われなかった特徴が存在する点を考慮しないといけない。
例えばこんなことが考えられる。

字幕派は欧米人の口から日本人の言葉・声が発せられる状況に違和感を感じていた
あの実験、欧米の言語を他言語に吹き替えていたけど、その時中国語に吹き替えたり韓国語に吹き替えたりしていただろうか。俺の記憶では確かしてない。となれば、当然この可能性はある。
日本の声優は欧米の他国人種に比べて欧米人の演技を吹き替えるのに向いていない(あるいは下手である)
そもそも日本人の吹替声優と欧米の吹替声優が「ある欧米言語を吹き替える」という行為に対して同条件であるという認識自体が疑問とも言える。

もちろん、単なる勘違いだった可能性もある。ただ、あの実験だけでそれが証明されたとは言えない。