タイトルつける程じゃないダークナイトの事。

色んな人が既に言ってた気がするし、多分自分でも書いてることだけど、映画の「ダークナイト」が実のところかなりエンターテインメント寄りにまとめられてるんだなぁとか改めて思った話。
前は「重そうなテーマを扱ってる割にあんまし踏み込んでないから軽くてスピーディ」とか「残虐行為らしきことが多く行われる割には血も出ないし肝心のところは見せないからクリーンでスタイリッシュでお子様にもオススメ」とかそんなことを書いた気がするけど、今回思ったのはラストシーンの事。
デントが死んで、絶望するゴードンに自分が汚れ役を引き受けると言うバットマン。それを聞いたゴードンは「君は悪くないのに」的なことを言うわけだけど、ここって一つの分岐点だと思うんよね。
ダークナイトという作品では、バットマンの最後の選択は「正義の行為としては疑問の残るもの」と位置づけられている。少なくともダークナイトライジングではそういう解釈を出発点に話が始まっていたし、ジョーカーに対して潔癖さを貫いた後にあのシーンが来れば、自然と客の脳裏にも「?」マークが浮かぶんじゃないかと思う。
で、そんなバットマンの決断に対するゴードンの反応だけど、大雑把に言って

  • そんなの君が可哀想だよバットマン
  • 市民に対して不誠実だと思わないのか

という二通りが有り得たはず。言うまでもなく本編では前者のみが語られることになった。
で、もしダークナイトがテーマを十分に表現することを最優先にしていたなら、間違いなくゴードンは後者の見解を話したんじゃなかろうか。
そうならなかったのは、ダークナイト(散々後味悪いとか言われてる割には)バットマンを悲劇のヒーローとして格好よく見せることでカタルシスをもって映画を〆ることを優先したからなんだと思う。
後は、バットマンの選択が「正義の行為としては疑問の残るもの」であるのは考えれば分かることなので、時間もないし描写は切り捨てた……のかも。そう考えると、ダークナイトはその手の切り捨てが多い。

  • デントが市民に人気なのは説明しとけば分かるよね。描写は切り捨てた。
  • ウェインがレイチェルに本気なのは普通に分かるよね。描写は切り捨てた。
  • バットマンがゴードン殺されて激怒してるのは考えれば分かるよね。描写は切り捨てた。
  • 市民の心が揺らいでるのはジョーカーが説明してるから分かるよね。描写は切り捨てた。
  • ジョーカーがチンピラに心酔されたり超天才だったりするのも当然だよね。描写は切り捨てた。*1

事実を見せれば頭では理解できることでも、描写によってより実感をもって伝えられるのが映画の強みだとは思うんだけど、「見せたいものは骨組みだけで見せちゃって、後はスピーディかつスタイリッシュにまとめることを最優先」というダークナイトのやり方は、それはそれで映像作品としての見せ方の一つの正解になっているとも思うんよね。

*1:ジョーカーに関してだけは切り捨てていいと思うけどね。言ってみればジョーカーって映画ダークナイトの「状況」なわけだし。